3号機の爆発が決め手になった。
熊野丸(いわき市在住)
あの日は、広野火力(広野町)と福島第二原発(楢葉町)の中間あたり、7~8km沖合いで漁をしていた。地震があった時は、底引きの最中で氣付かなかった。携帯電話の警報音と僚船の無線で、地震があったと判って漁をしていた十数艘と港へ戻る事にした。俺の船が先頭になったんだけど、津波が広野火力の防波堤にぶち当たって15メートルくらい波飛沫が上がるのが見えた。このまま戻るのは危ない。そこで旋回して沖にずっと逃げた。「おい、どこまで走るんだ。アメリカまで行く氣か!」って仲間の船が無線で言うくらい。「それもそうだな」と思って引き返したよ。
船は横からの波に弱いが、後ろからも弱い。それでまた舵を切って岸に船首を向けて引き波を乗り越えて、津波がまた来たらまた旋回して(何波も来る津波を)何度もやり過ごした。戻ろうにも大津波警報が解除されないので二晩戻れなかった。小名浜ならまだ入れるというんで、13日になって、みんなで向かったんだ。岸に近づくと、船の破片や瓦礫の一部などが浮いているし、海底もどうなっているか判らない状態だけど、なんとか入った。
魚のバイヤーをしている親友に電話して、「生きてる」「今どこだ?」「小名浜だ」「すぐ行く」と言って来てくれた。それで「おめえに頼みがある。久之浜の底曳船それぞれ20万円以上の魚を持ってる。これを金に換えたいんだ」「判った。明日まで待ってくれ」と。しかし、売れなかった。いわきはどこも断水で、魚を捌くにも水がなけりゃ話にならない。泣く泣く捨てたよ。
原発に関しては、まったくなんとも思ってなかった。1号機が爆発してもなんとも思わなかった。(避難する)決め手になったのは14日昼前爆発した3号機だ。当時テレビではあまり言わなかったが、3号機はプルサーマルなんだよ。前回の知事選の取材で新聞社の記者が来て「知事はどんな事しましたか?」と質問したから「プルサーマルOKの判子を押した。やったのは、それだけ」と答えたんだ。3号機にはプルトニウムが使われている。これが爆発した。ただ事じゃない。船の燃料は、まだ300マイル(約480km)走る分は残っていた。銚子まで行ける。他の船方に聞いたら「行く」。それで女房に「娘の荷物とおめえの荷物と身体を持ってすぐ小名浜に来い」と電話して、ふたりを乗せて銚子まで走った。娘と女房はゲロしながら、難儀だったと思う。支所長にも話して「俺、行きますよ」「そんなにヤバイと思うのか」「思う」そしたら、14日深夜から、いわきで空間線量がぐーんと上がったんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*「J-one」次号発行の為に年間購読サポート会員募集中!
年4冊+送料で2720円(7号より600円×4冊。メール便80円×4回:ゆうちょ銀振込)
本誌定価600円の内、福島支援に役立てて頂けるよう1部100円の活動支援金を設定しています。「J-one」編集部までメールにてお問い合わせください。
また、本誌販売にご協力頂ける方、協賛公告のスポンサー(ひと口5000円〜)も募集しています。ご協力をお願い致します。
取扱いショップはこちら
オンライン決済+メール便速達をご希望の方、下記提携ショップをご利用ください。
ヤフー!ショッピング取り扱いページ(Tポイント獲得・利用可)
楽天市場取り扱いページ(スーパーポイント獲得・利用可)
「J-one」トップ・ページへ
facebookのJ-oneページもよろしくどうぞ。 http://www.facebook.com/J.one4U