南相馬市鹿島区にて「ほりメンタルクリニック」を開業している堀 有伸医師と知り合い、先日、「日本的」なるものについてじっくり話す機会があったので、6月に出版された『日本的ナルシシズムの罪』(新潮新書)を手に入れた。
ナルシシズムの訳語は「自己愛」で、一般的な認識ではと言えば、自分の美的な面に自己陶酔している人物が「ナルシスト」とされ、しばしば薔薇の花を咥えてポーズを取っているようなイメージで捉えられている。
本書によれば<ナルシシズムの病は、現実よりも「自分にとって自分がどう感じられるか」、「自分が他人からどう見られるか」というイメージを重要視>し、<自分の理想から離れてしまった自分、という現実の姿を受け入れることが困難になる。すると現実を犠牲にしてでも、自分の理想的イメージを優先するようになる>とされる。
この<現実の姿を受け入れることが困難になると現実を犠牲にしてでも、理想的イメージを優先>における<理想的>の部分が、単なる自己でなく「場(所属先の組織や環境)」に「想像上の一体感」を求めてゆくのが「日本的ナルシシズム」だと、堀医師は定義している。
堀医師と「日本的」なるものについて語り合った後、均一化されたものに染まりたがる現代日本人の風潮に対してーー数年前、「ショッカーの戦闘員になろう!」というイベントが人氣と聞いて驚いたがーー「自分らしく生きる」という事で「薄めのナルシシズム」がもっと評価されてもよいのではないか、と本書が手に入るまで考えていたが、幼児期の自己形成において誰もが通過儀礼的に経験する段階にナルシシズムがあると知った。
ナルシシズムにもよい面がある一方、「日本的ナルシシズム」となると、かなり厄介になる。
なぜなら、個人的なナルシシズムに留まらず、集団化し、<集団全体の不安や緊張が高まり、耐えられなくなり>、<上位の者が不条理な攻撃性を発揮し、それを下位の者が甘んじて受け止めることが集団の一体感と統制を強化し、組織の競争力向上>へと繋がる。
現在、深刻化(一般化?)しているブラック企業のみならず、リアリズムによる戦況分析を無視し都合のよい解釈で多くの国民を死に追いやった大日本帝国の戦時体制がまさにその典型例だろう。
これらの精神構造はーー乱暴にまとめるとーー絶対的な神との契約が縦軸となり、逆に批判精神と「自我」の確立がなされ民主主義が根付いた一神教社会の西洋に対し、精霊的森羅万象を身近な神とし、集団作業による稲作を中心に永く営んできた横軸の日本社会では批判精神が乏しく、<全体と対立して区別される「自我」は成立していない。自らを集団に没入させ、そこから「自らの分」を事後的に切り分けてくるものが日本人にとっての「自分」>であり、オモテとウラを使い分けるムラの論理を無批判で受け入れる風潮が「日本的ナルシシズム」を培養しているのだ。
なるほど日本の軍人たちが「自分」という呼び方を好み、民主主義が根付かず、ネトウヨや歴史修正主義がはびこるのも頷ける。
そして、歴史的に日本が抱える「大甘な構造」の究極的事象が東京電力福島第一原発事故への経緯と現在進行形の事故対応であり、また同時に憲法9条を平和の盾として無批判に信奉する事へも警鐘を鳴らしており興味深い。
人口減少に向かう中、戦前回帰が指摘される現代日本だからこそ、「自我」の確立した社会へと向かう必要を実感する事だろう。
「ナルシシズム」を助長するものとしてfacebookなどSNSが挙げられるが、ぜひ本書の続編として「FB的ナルシシズムの罪」についての考察もお聞きしたいものだ。
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