311から3年目の津波被災地を千葉・房総南端から青森・下北北端まで3500km走った「J-one」8号から2年。震災5年半の宮城・岩手の沿岸部がどう変化したか、そして東北初上陸となった台風10号の直撃を受けた岩手県岩泉町、久慈市をまわり、災害対策の智恵を探った。
(なお、詳細は追って11月発行予定の「J-one」12号にてレポートします)

子供たちが壁画に描いた宮沢賢治の言葉「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」が痛々しく残る大川小学校。
剥き出しの風景が5年続く「郷土」
福島県をベースとしていると「復興は道半ば、宮城・岩手に大きく遅れを取っている」と思いがちであったが、実際に訪ねてみると2年前の取材時と比べ、依然、護岸工事が継続中な事に改めて東日本大震災の破壊力を思い知る。
ダンプが行き交う光景は一見、福島県内の状況とさほど違いがなようにも思えるが、海岸線から一定域を買い上げ緑地帯とする福島方式とは異なり、歯抜けの住宅地前にコンクリート製の壁が延々続く光景は、市民生活を圧迫するように思えてならない。これほどの工事が完成まで5年も6年を続く間、住民が郷土意識を抱き続けられるのか心配してしまうほどだ。

生活環境に迫るかのように防波堤が続く岩手県山田町。

10m超の土盛りに埋もれた南三陸町防災庁舎。実際は、これくらいの高さの津波に襲われたという事になる。
風景の変化という点でもっとも戸惑ったのは、南三陸町であった。10m超の土盛りが行われているために町の風景が一変し、津波が到達した区域は運び込まれた土盛りのピラミッドで埋め尽くされ、あの3階建ての屋上まで津波が押し寄せた「防災対策庁舎」が見えなくなってしまっている。裏を返せば、それだけ津波に対して低かったということだろう。
災害が地方経済の息の根を止める
さらに国道45号線を北上し岩手県岩泉町へと入り、沿岸部から山沿いに向かうと、街道沿いの田畑、住宅地には、まさしく311に戻されたかのような光景が広がり言葉を失う。泥かき支援の需要は、まだまだ続きそうだ。
なお、岩泉町・龍泉洞観光会館にてボランティア車中泊テント泊駐車場あり(9月11日現在)。一泊700円。要予約「いわてNPO災害支援ネットワーク」にて受付とのこと。
*ボランティア情報:いわて三陸観光復興プラットホーム
【緊急】台風10号復旧ボランティア情報(岩手県久慈市、岩泉町、宮古市)
http://sanriku-trip.jp/volunteer2016/

凄まじい洪水被害を受けた岩手県岩泉町の道の駅いわいずみ。道の駅としては閉鎖の中、町の人やボランティアたちが泥かきに励む。

水没した龍泉洞付近からは青々とした清流があふれ、自然の両面を見せ付けられる。
「あまちゃん」に沸いた久慈市は、急速に去ったブームの反動に加え、今回の台風10号で市街がすっぽりと水没し、実に大きな痛手を受けた。「400軒近い水没した商店のうち、再開するのは100軒程度だろう」との商店街世話人の話に、長年の不況・人口減少で疲弊した地方社会には災害が容赦なく深い傷跡を残すのを痛切に感じた。地震に限らず、台風のような局地的被害でもそのダメージは計り知れない。このような光景を見る度に「この国の最重要課題は防災・減災、そして救済」だと思うばかりだ。反面、長靴すら持参せずに水没地をおんぶで視察した政務官を続投させようとする政権は、住民の怒りによく耳を傾けるべきだろう。

8月6日にリニューアルオープンしたばかりだった「あまちゃんハウス」(久慈市)。

311激励のコラージュはじめ、泥水に浸かった久慈市商店街。
*平成28年久慈市台風災害義援金の募集について。受付中(久慈市HP)http://www.city.kuji.iwate.jp/syafukuka/choujyu_g/H28_taihuu_giennkinn.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
J-one ムービー・プロジェクト『小高の春』制作中。
「J-one」トップ・ページへ
facebookのJ-oneページもよろしくどうぞ。 http://www.facebook.com/J.one4U
*「J-one」バックナンバー好評発売中!
「J-one」直販オンラインショップ