本当の戦後レジームというのは、
民主主義が試された敗戦後の五年間だけ。
今、戦前レジームを総仕上げして、
戦中レジームに向かおうとしている。
「東洋のスイス」は日本の再軍備で目的達成
私は1935年生まれですから、昭和でいうと10年生まれです。戦争に負けたときが国民学校初等科4年生、10歳でした。6年生のときに日本国憲法が施行され、『あたらしい憲法のはなし』という教科書を文部省が出しましてねー抜粋してちょっと読んでみます。
「憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。やっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これを戦力の放棄といいます。もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。これを戦争の放棄というのです。」
憲法の重要なことがらがを子どもでも解るように書かれています。さらに私が中学生のときに『民主主義』という教科書(上下2巻)が作られ、私たちは義務教育の段階で戦後の民主主義教育を受けました。ですけど、中学3年のとき(1950年)、朝鮮戦争が始まります。そのときGHQの指示によって警察予備隊が発足します。それまで戦争犯罪人とされていた人たち、旧軍人や政治家などの追放解除が行われ、逆にレッドパージが始まり、いろんな人たちが仕事を奪われてしまいました。さらに、文部省は祝日に国旗・君が代を勧める通達を出していますし、公務員の政治活動、抗議行為も禁止されます。安倍晋三が「戦後レジームからの脱却」と言いますけども、現実的には「戦後レジーム」というのは戦争が終わってわずか5年くらいしかなかった、と私は認識しているんです。むしろ、その後は「戦前レジーム」と言える状況に私たちはいた。特に憲法の中でも第九条は、わずか5年ほどで空洞化・形骸化されました。
私は、戦後レジームというのはとっくの昔に終わっていて、今、安倍晋三がやろうとしているのは「戦前レジーム」を総仕上げして「戦中レジーム」にしようということではないかと思います。
「東洋のスイス」という言葉を知っていますか?私が子どもの頃、日本は永世中立国として「東洋のスイス」を目指していたんですよ。いつ頃からか、そういう話をする人がいなくなってしまった。警察予備隊から自衛隊に移って行く過程で言われなくなった。「東洋のスイス」と言っていた人たちは本当は軍備をしたい人たちだったわけで、「戦後レジーム」の5年ののち、目的としていた再軍備が達成されたので、それ以後は言う必要がなくなったんじゃないかと私は推測しています。スイスは平和国家と言いながら、実は軍備は持っている、核戦争にも備えているそういう国ですから。
以下、インタビュー全文は「J-one」9号をご覧下さい。
若松丈太郎(わかまつ・ じょうたろう):1935年、岩手県江刺郡岩谷堂町(現 奥州市)生まれ。福島県立原町高校や相馬高校等の教諭、福島県現代詩人会会長を務め、埴谷島尾文学資料館設立にも寄与する。詩集『いくつもの川があって』(花神社)、『北緯37度25分の風とカナリア』(弦書房)ほか。著書『福島原発難民』『福島核災棄民』『若松丈太郎詩選集一三〇篇』(共にコールサック社)、『ひとのあかし』(アーサー・ビナード英訳/清流出版)。
また、若松丈太郎さんは、日本ジャーナリスト会議広島支部発行の「広島ジャーナリスト」第21号(2015年6月)にて「J-one」の紹介記事を書いてくださいました。こちらのページも併せてお読み下さい。
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